五奇人というトラウマの話
なんとなく眠れなくてテレビをつけたら、アイドルが何グループか出演しているチープなバラエティ番組が放送されていた。その中に、見覚えのあるアイドルを見つけた。
逆先夏目くん。忘れもしない、私のトラウマだ。
画面の中の彼は笑っているけれど、私の記憶の中の彼は、唇を噛み締めて、ステージを睨みつけていた。今にも泣いてしまいそうで、それでいて殺意を孕んだあの目を、たぶん私は一生忘れられない。
どうせ眠れないので、私のトラウマとなった出来事について綴ってみようと思う。完全に主観だし、もう1年以上前のことで記憶も曖昧な部分があるから、あくまでも話半分に読んでもらいたい。
2年くらい前の私はミーハーなドルオタで、Valkyrieの仁兎なずなくん*1にハマって夢ノ咲学院のライブに足を運んでいた。
家が近所だったことと、友達が熱心な巴日和推しだったこともあって、私もそれなりの頻度で夢ノ咲学院に通っていた。
当時のValkyrieは夢ノ咲の中でも一線を画す実力で、そのリーダーであり演出の全てを手がける斎宮宗くんは「五奇人」と呼ばれていた。
「五奇人」という言葉に聞き覚えがある人はどれくらいいるだろうか。最近アンサンブル・スクエア、通称ESが設立されてから夢ノ咲出身アイドルが爆発的に人気になっているのだと風の噂で聞いている。そのタイミングでついた新規ファンには耳馴染みのない言葉だと思うし、知らなくても全然問題ない、過去の遺物だ。
すっかり聞かなくなった呼称である「五奇人」だけど、夢ノ咲を見てきた人にとってはたぶん良い印象はない言葉だと思う。完全に悪の象徴みたいになっていたし、実際私も五奇人のことはかなり嫌っていた。
五奇人とは、朔間零、日々樹渉、深海奏汰、斎宮宗、逆先夏目がまだ各々のユニットに属する前にまとめて呼ばれていた通り名のようなものだった。誰が言い出したのかは分からないが、夢ノ咲に君臨する天才を指して人々はそう呼んでいた。最初はそれだけの話だった。
しかしこの五奇人は、次第に評判を落とし、悪の象徴として忌み嫌われるようになっていく。
今では当たり前になってるドリフェス制度も、五奇人が台頭してきた頃と同じような時期に導入された。
ドリフェス制度は、サイリウムで点数をつけて競い合うというライブ方式だ。点数がついたからといって何があるわけでもないけど、やっぱりいざ数字が出て勝敗をつけられると、あーこのユニットってすごいんだとか、こいつら大したことないなとか、そういうのが分かってしまう。
Valkyrieは最初の頃はドリフェスには参加していなかったけれど、Valkyrieがトップであるという事実は揺らがないはずだった。
しかし、そんなValkyrieが初めてドリフェスの舞台に立った日、彼らは敗北した。音響トラブルのせいで予定が狂ってしまったみたいだったから仕方ないと思うけど、当時無名だったfine*2にあっさりと負けてしまったことは大きなどよめきを生んだ。
先ほども書いたけれど、ドリフェスに勝とうが負けようが何があるというわけではない。けれど格付けはなされてしまう。あの日Valkyrieは、夢ノ咲に君臨するトップユニットではなくなってしまった。
それ以降、私のドルオタ人生でValkyrieを生で見ることは二度となかった。
代わりに目にするようになったのは、Valkyrieへの罵詈雑言だった。根も葉もない噂と分かりつつ、どこか真実味のある噂は瞬く間に「事実」として広まっていった。
斎宮宗のパワハラがひどすぎてValkyrieは解散した、という噂もあった。思えばあの音響トラブルの日まで、私はなずなくんの生の声を聴いたことがなかった。掲示板では、斎宮宗の命令で仁兎なずなは声を出すことを禁じられていたというのが「事実」として書き連ねられていた。
なんとなく世間の風潮が、五奇人は悪という方向に流れていった。実際私自身も、パワハラの話を聞いてからは「天才だからって何様なの?」と思うようになっていた。
それと同時に、天才でもなんでもないfineが大躍進していく姿には胸を打たれた。彼らはファンを大切にしていたし、どれだけ地位が向上しても驕るようなことはなかった。
最初は友達の付き添いで足を運んでいたfineの現場にも、やがて自発的に向かうようになっていた。
乱凪砂くんと巴日和くんの二枚看板は圧倒的に華があった。グループをまとめる青葉つむぎくんは高校生とは思えないほどにしっかりしていて尊敬できたし、天祥院英智くんはあまり目立たなかったけど、綺麗な顔立ちと儚い雰囲気は、いずれ人気が出そうだなと思わせる可能性を秘めていた。
私はすっかりfineに夢中だった。それと同時に、五奇人へのヘイトも溜め込んでいた。掲示板に何度か書き込んだこともあったし、友達と悪口で盛り上がることもあった。
五奇人は叩いても良いサンドバックだと、当時の私は考えていた。なんの努力もしてないくせにチヤホヤされてきたツケを払うべきだと本気で思っていた。ざまあみろ、とも。
そしてあの日がやってきた。私のトラウマになったあの日は、fineと日々樹渉のドリフェスが行われる日だった。
現場に足を踏み入れたときにはまだ、fineの旧メンバー最後の日になるとはまったく思っていなかったし、私がドルオタを辞めることになるとも思っていなかった。
人気絶頂のfineが五奇人を倒して、もっと上に行く。私もそれを応援する。そんな単純な未来を漠然と想像していた。
ステージの幕が上がって少ししてから、客席の近くに五奇人の朔間零くんと逆先夏目くんがいることに気付いた。彼らはfineとドリフェスをしたことはなかったけれど、もはや今のfineの勢いであれば容易に蹴落とすことが出来るだろうという程度の存在だった。
負け犬がどの面下げてお仲間が惨めに敗北する様を拝みにきたのだろう。そんな意地の悪いことを考えて、私は少しだけ舞台から目を逸らして客席にいる2人を見た。
そのとき私の目に飛び込んできたのは、唇を噛み締めてステージを睨みつけている逆先夏目くんの姿だった。憎しみを堪えながら、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる彼を見て、私の耳にはライブの爆音が急に入って来なくなった。時が止まったみたいだった。
朔間零くんは、そんな逆先夏目くんの肩を抱いて、慰めているように見えた。
その瞬間、私の中にあった意地悪で残酷な気持ちは、冷や水を浴びせられたみたいに急速に萎んでいった。
五奇人もただの人間なのだと、傷ついている姿を目にしてようやく知ったのだった。
同時に、同じ人間をどうしてここまで強く憎んでいたのだろうかと自分で自分が恐ろしくなった。
五奇人に何かされたわけではない。そもそも私は、五奇人を見たことすらほとんどなかった。斎宮宗くんは音響トラブルがあったドリフェス以来姿を見せなかったし、深海奏汰くんのドリフェスはチケットが取れずじまいで見ることは出来なかった。朔間零くんはずっと海外にいるという噂だった。日々樹渉くんと逆先夏目くんもライブには全然出てこなかったから、私は彼らのことをほとんど知らなかった。
知らなかったのに憎かった。いや、憎かったのかすら今となっては分からない。だけど私は熱狂して、何も考えずに彼らを傷つける悪意に加担していた。
逆先くんのあの目を見て、アイドルという存在に肩入れすることが一気に怖くなった。アイドルだってただの人間で、傷つけられたら当たり前に傷つく生き物なのだと知ってしまったからだ。
あの日以来、私は夢ノ咲学院のライブに通うのを辞めた。
逆先夏目くんは今、Switchというユニットで活躍しているらしい。このユニットは元fineの青葉つむぎくんもいるというから驚きだ。
彼らの間に何があったのか、つい邪推したくなってしまう。けれどこういうありもしない妄想がアイドルを簡単に傷つけてしまうことを私は知っているから、これ以上は考えない。
テレビの中の逆先くんが楽しそうに笑えていることに少しだけ安心した。
もう二度とアイドルのファンはしないつもりだからこれ以上深入りする気はないけれど、出来れば幸せになってくれたらいいなと思う。
身勝手な願いを託しつつ、眠くなってきたのでこの辺にしておきます。