娘が青葉つむぎに救われた話

 

 アイドルって最近すっかり落ち目になったと思っていた。

 氷鷹誠矢とかは今でもたまにテレビで見かけるけど、それ以外のアイドルってみんな似たり寄ったりでよく分からない。一昔前は佐賀美陣とか人気だったけど、不祥事かなんかで消えて以降は全然見なくなった。佐賀美陣みたいにパッとするアイドルももう全然出てこないし、完全に終わってるな〜と思っていた。

 私が小学生の頃の卒業文集にはみんなこぞって将来の夢の欄にアイドルなんて書いてたのが嘘みたい。今の子供は何になりたがるんだろう。


 私の娘はいま高校二年生で、声優を目指して夢ノ咲の声楽科に通っている。声優という夢が世の子供たちにとってどのくらい人気の職業なのかは分からないけど、昔からアニメが好きだった娘は小学生の頃から声優に憧れていた。

 中学の頃から学校を休みがちだった娘が、家からでも無理なく通える高校となると自ずと選択肢は限られた。そんな中で、夢ノ咲には声楽科があった。

 普通科よりもこういう専門的な学科に進学する方が夢への近道ではないかと思い、私が娘に受験を勧めた。

 しかし実際は声楽となるとクラシックなどの勉強をして歌の訓練をするらしく、声優とは少し違ったそうだ。

 娘は思っていたのと違う高校生活に徐々に落胆し、塞ぎ込むようになってしまった。

 中学時代の娘はクラスに馴染めなかった。上手く波長が合わず、無視されたりからかわれたりすることが何度かあったらしい。それから娘は中学にほとんど行かなくなった。

 高校生活こそは楽しく過ごしてほしいと願っていたのだが、結局高校のクラスにもあまり馴染めていない様子だった。

 元から引っ込み思案の娘は人前で歌うことが苦手であるため成績が悪く、教師からあまり好かれていなかったらしい。

 それに夢ノ咲にはアイドル科があり、そこに通うアイドル目当てで声楽科に在籍している人間も少なくないみたいで。真面目に授業に取り組むような雰囲気でもないのだと娘から聞かされていた。

 いつも浮ついた雰囲気のクラスメートたちは、娘のような大人しい性格だとなかなか波長が合わなかったようで、娘は中学時代と同じように無視されるようになってしまったみたいだった。


 娘が自殺を図ったのは、娘が二年生になったばかりの頃だった。

 後者の屋上から飛び降りたと聞いたときは血の気が引いたけど、運良く木の上に落ちたことで一命を取り留め、自殺未遂で済んだ。

 娘は奇跡的に生き延びたけど、もちろん無傷では済まず。全治3ヶ月の重傷を負い、入院することになった。

 娘は精神的にも良くない状態だったから、学校から離れる口実が出来たのは良かったと思った。しばらく病院で安静にして、これ以上学校に通うのがつらいのであれば退学したって良い。人生はまだ長いのだから、選択肢はいくらでもある。とにかく私は、娘が元気になることだけを祈っていた。


 ある日娘のお見舞いに行くと、久しぶりに娘の方から私に話しかけてくれた。その日はずいぶんと顔色も良く、どこか嬉しそうだった。

 何があったのかと聞くと、夢ノ咲のアイドルと話せたという。

 青葉つむぎ、と彼は名乗ったそう。

 私は今のアイドルにはまったく明るくないし、そもそも夢ノ咲生ということはアイドルのたまごのようなものだ。まだ世間に名も知れてないそのアイドルと話せることにどれほどの価値があるのか、私にはよく分からなかった。

 だけど娘はすごく嬉しそうだった。アイドルと話せたことが嬉しいというよりは、青葉つむぎという人物そのものの優しさに惹かれている様子だった。

 彼は友人のお見舞いでこの病院にお見舞いに来ていたらしい。生まれつき病弱なクラスメートがこの病院のいちばん大きな個室に入院しているそうで、青葉つむぎは彼に宿題を届けるために足繁く通っていたのだとか。

 その友人の名を天祥院英智と聞かされて、あの天祥院財閥の!?と私はそっちに驚いてしまった。けれどあまり世間のことを知らない娘は天祥院の名にはまったくピンと来ないらしく、それよりも寧ろ青葉つむぎの話を聞いてほしいと私にせがんだ。

 青葉つむぎと最初に出会ったのは病院内のエレベーターだったという。娘はエレベーターに乗り合わせた青年が夢ノ咲の制服を着ていると気づいた瞬間に、死を考えるほどにつらかった学校生活のすべてがフラッシュバックして意識を失ってしまったと言っていた。

 目が覚めたとき、娘は病室のベッドの上にいて、そばに先ほどの彼が控えていたのだという。娘は叫びそうになったみたいだけど、それよりも先に青葉つむぎが「大丈夫ですか!?」と叫んだらしい。

 娘が呆気に取られていると、青葉つむぎは「大きな声を出してすみません、あまりにも君が心配だったので、つい……」と声を掛けてくれたらしい。

 娘はこれまでの人生でまともな人付き合いをしたことがほとんどなく、男の子と話したことなんてほぼ皆無に等しかったものだから、自分がイメージするよりずっと優しい男の子だった青葉つむぎにすぐに気を許したようだった。

 自分も夢ノ咲に通っていることを青葉つむぎに話すと、彼は「同じ学校だなんて嬉しいです!」と笑顔で応えてくれたらしい。

 すっかり娘は青葉つむぎを気に入っていた。青葉つむぎの方は、天祥院財閥の御子息のお見舞いのついでに娘の病室にも頻繁に顔を出してくれるようになったようだ。

 ただの一般生徒の私にも優しくしてくれるなんて、つむぎくんは神様みたいな人だよね、と娘は嬉しそうに話していた。日に日に明るくなっていく娘の様子に、私自身もほっとしていた。


 天祥院財閥の御子息の体調が回復し、青葉つむぎはあまり病院に来なくなった。その頃には、娘の退院日もやってきた。

 自殺を考えてしまうほど行きたくない学校なら行かなくても良いと娘に伝えたのだが、なんと娘は学校に行きたい、と言った。

 つむぎくんと同じ学校に、私も通いたい。娘は目を輝かせて言ってくれた。自殺未遂直後の娘からは比べ物にならないほどに前向きな様子で、私もこれなら大丈夫だろうと復学を後押しした。


 青葉つむぎというアイドルを私は知らなかったけれど、自殺未遂に至った娘にもう一度希望を持たせ、学校に戻れるまでに元気づけてくれた功績は偉大だと思う。まだ無名であろうとも、彼は立派なアイドルだ。

 その頃から、fineの名前をよく耳にするようになった。

 娘から聞かされているというのもあるし、娘に名前を聞かされて意識しているから目につくというのもあるのかもしれない。それでも、アイドルファンではない私の目にも、fineは活躍しているように思えた。

 それまでは娘から話を聞かされるだけだったから顔すらも知らなかったけれど、今年の夏頃からは雑誌なんかでもよく見かけるようになった。

 fineの青葉つむぎという人は、ユニットをまとめるリーダーだそうだ。爽やかそうな好青年で、たれ目なのが優しげな雰囲気を醸し出していて好感が持てる。
 
 青葉つむぎは娘から聞かされていたイメージそのままの青年だった。


 最近、娘はずっと活発になった。去年までの娘は学校の授業にはついていけないし、思い描いた学校生活でないからと何に対しても消極的だった。しかし退院して再び学校に通うようになってからは人が変わったみたいにアクティブだ。

 どうやら今でもクラスにはあまり馴染めていない状況は変わっていないらしい。しかし、嫌がらせは前ほどひどくないという。

 何やら今、夢ノ咲学院には五奇人という悪い人たちがいて、みんなはその人たちと戦うことに必死で娘には目を向けなくなったらしい。寧ろ娘も、積極的にその戦いに協力しているとのこと。共通の敵を見つけると人は団結できるというのは間違いではないのだろう。

 青葉つむぎが所属するfineは、そんなみんなの旗印なのだという。何だか本当に戦争じみていて、娘の話を聞いていても私には何が起こっているのかあまり理解はできない。ただ、学生の闘争というものはいつの世でも苛烈なのだな、と思うだけ。
 

 fineは夢ノ咲学院を革命したいのだという。革命なんて大袈裟な、と思うけれど、彼らは本気でそれを成し遂げようとしているようだ。

 娘はそんな彼らのために、つむぎくんのために、もう少し生きてみたくなった、と言っていた。

 彼らは弱者の味方を謳っている。天才だけが持て囃される学院じゃなくて、誰もが主人公になれる学院にしたいと。それは、人前で歌うことが苦手で成績が振るわない娘にとって希望なのだと思う。たかが学生のお遊び、などと笑い飛ばすことはできない。少なくとも娘にとって、この革命は、fineは、生きる意味なのだ。


 アイドルなんて落ち目だと思っていたけど、もしかしたら何かが変わるのかもしれない。少なくとも娘の人生はもう変わった。アイドルのおかげで前向きになれた。それだけでも私は、アイドルという存在に救われた。

 佐賀美陣のようなスーパーアイドルはもう出てこないのかもしれないけど、まだまだアイドルは捨てたものではなさそうだなと思う今日この頃。